中国旅行記(その4)

[*]中国旅行記(その4)
お早うございます
そろそろ旅行も終盤になりました。
今日は<マカオ>について説明します。
マカオは香港から高速遊覧船で約1時間で到着しました。
正式名称は、中華人民共和国特別行政です。
島の大きさは29,2Km2
人口は・・・約54万人(2009年)
この島は、東洋と西洋の出会いの島と言われ、日本との
交流も古く、室町時代にまでさかのぼる事が出来ます。
主に長崎港を中心に南蛮貿易が行われていました。
マカオ>を説明するには、どうしてもキリスト教布教について
語らなければなりません。
織田信長は、キリスト教布教活動を許可したが、時代が進み豊臣
秀吉は逆にこれを迫害しました。そして、徳川幕府鎖国令を
出してポルトガル船等の入港を禁止しました。
話は前後しますが、豊臣秀吉によるキリスト教徒迫害強化により、
多くのキリシタンが新天地を求めてマカオに移住したといいます。
その居住地が今も現存しており、見学しました。また、日本語化
しているパン・テンプラ・カステラ・ビスケット・ボタンなどは、
ポルトガル語からの由来です。
マカオ>はこれという産業がありません。唯一〈カジノ)が
認められ特別行政の収入となっています。
中を覗いたところ、お客さんは、中国人男女が多く西洋人は、
ほとんどいませんでした。ここで、日本から来た現地の
ガイドさんの印象的な言葉を紹介します。
ガイドさん曰く〈当地には1〜2年のつもりできたが、
カジノ賭博に手を出さなかったお陰で25年住みつくことが出来た。)
走行距離(海路を含む)約300Km 広州着22時
行政の中心街

平均的住民の住居

カジノ賭博場